親とうまく向き合うためのNLP
2024年がスタートしたと思いきや、あっという間に2月。年を追うごとに月日が経つのが早くなっているような気がするのは私だけでしょうか。
さて、皆さんは今年どのような目標を立てられましたか?
私は今年の目標をいくつか立てたのですが、その中の1つを、「実家の片付けに着手する」としました。
実は、年末年始に実家を訪れたのですが、居間に入ると床がモノで占領されて狭くなっていました。
いらないレシートや配達済みの宅配の送り状、メモ代わりに取ってあるらしいチラシといった紙類をはじめ、家族からもらったという埃をかぶった造花、さらにはいつもらったかわからない化粧品のサンプルの山等々。。
母が昔から片付けが得意でないことはわかっているのですが、親亡き後に、全ての片づけを私がしなくてはならないことや、床にモノを置くことで躓いて転倒する危険性があることなどもあり。。
「ゴミ屋敷にしないでよ!」
「話聞いてるの!?」
とついつい、きつい口調で両親、特に母親に怒ってしまいました。
その後「片付けをしよう」と提案をしたのですが、母は私がきつい言い方をしたことによって萎縮し、「もう私なんか何をやってもダメだ」と言い出してしまい。。
NLPの勉強をしているのに、実生活で活かすことは、こと家族となるとなかなか難しいものだなと痛感した出来事でした。
そこで、今回は、最低限の整理整頓をやってもらう方法と、私が両親、特に母に対してきつい口調になってしまう理由について考えてみたいと思います。
モノを捨てられない高齢者
我が家に限らず、最近はメディアでも「実家の片付け」についての記事を多く目にするような気がします。「実家に帰省した時、要らないモノを捨てようとしたら逆ギレされた」などの声はよく聞きますね。やはり高齢者の意識には、モノを捨てることへの抵抗感が強く残っているようです。私が母を観察して感じたのは、モノを捨てられない理由には、物質としての側面と、精神的な側面の両方が存在するということです。
まだ使える!もったいない。。
両親の家には、服も日用品も新しいものがあります。それにも関わらず「まだ使える」と、擦り切れそうなマフラーを使い、染みがついたエコバッグを使い続けていました。母が言い分としては「近所の買い物だから何でもいい」とのこと。
そこで「せっかくある新しいものを日常で使わないとどこで使うのか?」「高齢者だからこそキレイなものを使わないと貧相に見える」と説明し、古いものを捨ててもらうことにしました。
モノに付随する思い出や、思い入れが捨てられない
いつもらったのかも定かではない、今となっては埃をかぶった造花に対しても「どんな気持ちで贈ってくれたのかと思うと捨てられない」と感じたり、還暦を迎えようとしている従兄弟が子供のころに、母宛にくれた40年近く昔の年賀状に対して「こんな懐かしい年賀状捨てられない」と感じたり。。
私からすれば、いずれは(おそらく私が)捨てる時が来るのだから、早く取りかかった方がいいのではないかと思うのですが、モノそのものというよりは、それに関するストーリーや自分の思い入れを捨てられないのではないかと思います。
私と同じように、片づけられない親を持つ友人は「モノをどんどん片づけられると自分の人生を片づけられるような気がする」と言われたそうです。
モノを捨ててもらうには
想い出のモノは一旦置いといて、モノが雑然と居間の床に散らかっている状態は、躓いて転倒防止などの安全面からも望ましくない状態なので、まずは、いらない紙類や、明らかに劣化して使えないような物など、捨てやすいところから手を付けてもらうことにしました。
片づけてもらうためにどうすればよいか、母との会話の中から行動パターンを観察したところ、片づけられない時は、大体次のような行動パターンだということがわかりました。
モノが雑然と散らかっているのを見る
↓
「片付けないと」という心の声が聞こえる
↓
体が思うように動かない、億劫、昔はできたことが出来なくなってきたと感じる
↓
できない自分に自己否定感を感じる
高齢になると、昔はできたことがだんだんできなくなるにつれ、「自分はダメだ」と自信を失いがちになります。このままではますます萎縮して元気がなくなっていき、うつ状態になりかねません。母に何とか自信を持ってもらうために、「片づけよう」というやる気が起きるようなプロセスを考えてみました。
モノが雑然と散らかっているのを見る
↓
「片付けないと」という心の声が聞こえる
↓
こちらから「片付いたら部屋が広くなるよね」などと声がけをして、片付け後の様子を想像(視覚的)してもらう
↓
「片付いたら掃除もラクになるしスッキリするよね」と体感覚的にも感じてもらう
↓
「よし、片づけよう」というスイッチを入れてもらったところで、「一緒にやろうよ」と声をかけて取り掛かる
少しでもキレイになったら「キレイになってよかったね!」と一緒に達成感を味わい、さらに「お母さんが手伝ってくれたから早く終わったよ」と、感謝の気持ちを伝えることによって、自分が必要とされていることを実感してもらえれば大成功です。
親に対してきつい口調になる理由
私はというと、高齢の親に対して労りの気持ちを持たなければと思う一方、ついきつい口調になってしまう自分がいる、という葛藤が生じています。「この葛藤の裏にはどのような理由があるのだろう?」ということで、VOL3「やめたいのに、やめられない行動を変えるには」の記事を参考に「きつい口調で注意することで得られる肯定的な理由」を考えてみました。
母親がもっと若い頃だったら、居間の床が散らかっていることを指摘しようものなら、「自分こそ、服や靴ばっかり買っていないで少しは片づけたら?」というような言い合いになったはずです。ましてや、「私なんか何をやってもダメだ」などと弱気な言葉を聞くことはあり得ませんでした。
そのような、母が若かった時の勢いが失われた会話の中に、「認知症になってしまうのではないか」という不安を感じてしまい、しっかりと頭が働いているかどうかを確認して、自分が安心を得たいために、ついきつく問いただしてしまうのです。
それは、両親に健康で長生きしてほしい、出来るだけ長く、健康で幸せな時間を一緒に過ごしたい、という思いからの行動だったのです。
きつい口調で注意したところで、認知症にならないわけではなく、むしろ「娘に怒られるダメな自分」と自己否定感を植え付ける悲しい結果になりかねませんので、両親に対してもっと優しい気持ちで接しようと反省しました。
まとめ
今回は、実家の片づけを通して、高齢の親との向き合い方について、親の気持ちと自分の気持ちの両面から考えてみました。
現在日本の人口の29.1%、つまり、4人に1人が65歳以上の高齢者だそうです。 さらに、10人に1人が80歳以上という超高齢化社会に入っています。
高齢になると、これまで普通に出来たことがだんだんできなくなり、一人取り残されていくような、寂しい気持ちになりがちです。高齢者が「自分が必要とされている」と自己重要感を高めていくことは、健康を維持するためにはとても大切なことではないでしょうか。認知症の予防には、適度な運動や食生活を始め、ポジティブに毎日を過ごすことも重要だと言われています。
私も目の衰えはどうにもし難く、PCやスマホの操作が億劫で仕方ありません。グーグルマップですんなりと目的地に着いたことが一度もありませんし、若い世代が使いこなしているスマホの機能にも追いつけません。「自分はダメだ」と思う親の気持ちもわかります。
兄弟を亡くしている私にとって、自分のことを心配し、一番の味方でいてくれる存在は両親だけです。寿命を考えると、今後一緒に過ごす時間はそんなに長くないと思うと、きつい言い方をして悲しませるよりも、常に感謝の気持ちを忘れずに、時々励まして「自分は必要な存在なんだ」と思ってもらい、少しでも長く一緒に幸せな時間を過ごそうと、気持ちを入れ替えた年の初めでした。
今年もNLPの視点から日常の中で気づいたことを書いていきますので、どうぞご期待ください!
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